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[讃岐漆器コース] 江戸末期に生まれたヌーベル漆「讃岐漆器」を訪ねて
讃岐漆芸隆盛の起こり

 意外と知られていませんが、香川県は「漆芸王国」と称されるほどの漆器どころ。

 生産量全国6位、高松を中心に約60社、1000人以上の職人を有する一大産地なのです。

 決して材料が豊富なわけでもなく、湿気を好むはずの漆が、雨の少ない香川に根付いたのは、江戸時代末期に登場した1人の讃岐人の功績によるものでした。

パイオニア精神が生んだ独自の漆芸 

写真提供/高松市美術館

 玉楮象谷(たまかじ ぞうこく)。讃岐漆芸の歴史は、この1人の漆工から始まりました。当時、江戸や京都で「漆」と言えば蒔絵が主流。けれど京都に遊学していた20歳の象谷は、あえて伝統的な技術に追随するのではなく、中国から伝わった存清(ぞんせい)などの唐物漆器や、南方渡来の籃胎蒟醤を研究し、日本独自の技法として「蒟醤(きんま)」「存清」「彫漆(ちょうしつ)」を創案しました。

 自由な発想と新奇に富んだ象谷の漆芸は、第9代高松藩主の松平頼恕(よりひろ)に認められ、将軍家や中央の諸大名への進物として重用されます。それによって讃岐漆芸の評判はたちまち全国へ広まり、後の大老・井伊直弼など有力大名からも注文が相次ぐほど、讃岐を代表する特産品へと発展しました。以降、象谷は松平家3代に仕え、香川に漆芸の礎を築いたのでした。

 明治以降も、磯井如真や音丸耕堂など優れた漆工の出現により讃岐の漆器はさらに進化します。そして昭和51年、「後藤塗」「象谷塗」を加えた5技法が、香川漆器として四国初の「日本の伝統的工芸品」に指定されました。

讃岐漆器の新しい時代

 全盛期の昭和40年代には全国生産額の80%を占めていた座卓など、家具製品を中心にシェアを伸ばしましたが、バブル崩壊後は需要が激減。一時は落ち込んだものの、近年プロダクトデザイナーとの共同制作や、石や盆栽といった他の地場産業とのコラボなど、現代の生活様式に合わせた新しい漆器への取り組みが始まっています。また、全国で2ケ所しかない漆芸後継者の養成機関である香川県漆芸研究所では、人間国宝らトップクラスの漆芸家を講師陣に迎え、毎年、全国から若き才能が讃岐漆芸を学びにやってきています。

 古来より西欧では「japan」と呼ばれていた漆。多彩な技を駆使した香川のjapanは、象谷から受け継ぐ創意工夫の精神で、今も進化し続けているのです。

玉楮象谷

 文化4年(1807年)、現在の高松市磨屋町で鞘塗師・藤川理右衛門の長男として生まれる。20歳で京都に遊学、中国や東南アジアのきゅう漆法に触れ、鑑識眼を高めるとともに腕を磨く。その後、高松藩主・松平頼恕に認められて30歳で帯刀を許され、「玉楮」の姓を賜わる。

 玉楮姓の由来は、中国宋代の名工が「玉」で三年かかって楮の葉の形の盆を作り皇帝に献上し、工人として召しかかえられたという故事によるもの。明治2年2月1日、64歳で没するまで、300有余点の名品を残した。


中央公園にある玉楮象谷像

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