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玉楮象谷(たまかじ ぞうこく)。讃岐漆芸の歴史は、この1人の漆工から始まりました。当時、江戸や京都で「漆」と言えば蒔絵が主流。けれど京都に遊学していた20歳の象谷は、あえて伝統的な技術に追随するのではなく、中国から伝わった存清(ぞんせい)などの唐物漆器や、南方渡来の籃胎蒟醤を研究し、日本独自の技法として「蒟醤(きんま)」「存清」「彫漆(ちょうしつ)」を創案しました。
自由な発想と新奇に富んだ象谷の漆芸は、第9代高松藩主の松平頼恕(よりひろ)に認められ、将軍家や中央の諸大名への進物として重用されます。それによって讃岐漆芸の評判はたちまち全国へ広まり、後の大老・井伊直弼など有力大名からも注文が相次ぐほど、讃岐を代表する特産品へと発展しました。以降、象谷は松平家3代に仕え、香川に漆芸の礎を築いたのでした。
明治以降も、磯井如真や音丸耕堂など優れた漆工の出現により讃岐の漆器はさらに進化します。そして昭和51年、「後藤塗」「象谷塗」を加えた5技法が、香川漆器として四国初の「日本の伝統的工芸品」に指定されました。
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